福島原発事故により避難指示がでていた浪江町。その一部が2017年3月31日に避難解除されました。ようやく居住できる地域が指定されて、これからが復興本番ですね。
 避難解除からおよそ2年、浪江町駅前の様子がどうなっているか、見てきました。

浪江町HPより

 行程は、山形を朝出発し、仙台から常磐線で浪江町・富岡町を通りいわきまで南下、そこから郡山を経由して新幹線で山形に帰るという日帰りの計画です。
(「大人の休日倶楽部パス」が1日余ったので、どうせJRが無料だから思い立った計画。)

Yahoo路線情報より
山形発仙台行き

 山形から浪江町までJRで行くには、途中2回乗り換えが必要です。
これより早く山形を出ても乗る列車は同じ。これより遅くなると、もはや山形に戻れません。この列車が唯一の便と言えそう。

原ノ町駅前。こちらは普通に生活のにおいがします。

 原ノ町でほんの少し待ち時間があるので、駅前に出てみる。

 ここは福島県相馬市。こちらも津波の被害が甚大だったところで、資料によれば海沿いに「伝承鎮魂祈念館」という施設ができている模様。松川浦がどうなっているかも気になるところですが、今回は自動車の旅ではないのでふらふらせず「浪江行き」の列車に乗り込みます。

原ノ町発浪江行き

浪江町駅前の様子

 10:11 予定通り浪江町に到着。
ここで少しゆっくりしたいところだけど、10時30分の常磐線代行バスに乗らなければならないので、15分間の駅前散策に出発。

浪江駅
駅前に、カフェができていました。「かふぇ もんぺるん」です。
11時開店ということで、まだ準備中。
これを単純に24倍して、365倍すると、年間の放射線量になる。
およそ2mSvか・・・ほぼ原発の影響はないと言えるのかな。
駅前は、がらんとしてます。
お店はやってるかなあと近づいてみると、
やっぱり、まだだよね。
立派な住宅も、まだ誰も住んでいません。
立派な学校も、誰もいません。

 大変不勉強で、多少の民家があったりお店も少しできているのかなあと思っていました。しかし、駅前の一帯はほとんど人の気配がしない町のままです。
 この一帯は、もちろん地震の被害があった所ですが、津波は受けていない地域。原発の事故がなければすぐに復興の作業が始まったはずなのに・・・

 でも、少しですが車の通行もあり、重機が動いてる場所も見られます。浪江小学校そばの新聞販売所も開いてました。
 また、今回は時間がなくて行けませんでしたが、もう少し歩くと飲食店も開店しているという話です。

 駅前に活気が戻る日もきっと来ます。

浪江町被害状況分布資料より

 復興支援のつもりで何かお土産を買おうと思いましたが、時間もなく店も見つけられず、今回は何も貢献出来ず通過します。ごめんなさい。

富岡行きの常磐線代行バスが来ています。

浪江から富岡へ

 代行バスに乗り込むと、車掌さん(ガイドさん?)の説明があります。
「バスは、これから帰還困難区域に入りますので、窓を開けないようにご協力お願いします。」というお話。まあ大丈夫でしょうとは思うものの、ちょっと緊張します。

途中の立ち入り禁止区域に入る道路には、すべて警備員が立っています。大変な仕事です。

 途中、帰還困難区域は立ち入り禁止の看板とバリケードが設置されており、ほぼ全ての道路には警備員が常駐しています。
 夜中も交代で立っているのでしょうか・・・。いずれにしても、大変な仕事です。お体に注意して、よろしくお願いします。

 そういえば、避難指示が出た後の空き巣狙いの問題もありました。

写真には撮れませんでしたが、除染した土(つまり放射性物質がかかった土や草、木の枝を削り取ったもの)が並んでいる所もありました。おびただしい量です。あの除染土をどうするかも、今後の課題になります。
 最近、除染土を福島内で処分する案が出され、多くの住民が反対運動をしているのも耳にします。技術的な問題や安全性については勉強不足ですが、感覚的には「放射線の出てるものも、埋めちゃえば大丈夫」という話は、いかに放射線量が違うといってもちょっと納得できない感じがします。

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福島復興ステーションHPより

 富岡町は、町のほぼ全域が避難指示解除され、駅前も少しずつ復興が進んでいます。駅前周辺は津波の冠水地域であり、昔の建物は残っていませんが、少しずつ住宅が建ち、大きなスーパーも営業しています。

富岡駅前、小さな食堂が併設されています。愛想が良くていい感じでした。
放射線量は、浪江町の4分の1程度。
駅前にはホテルが
少し歩くと、小さな住宅が並んでいます。

東京電力 廃炉資料館

 今回の旅の目的地は「廃炉資料館」。もとは東電の原発PR館だったようですが、今は廃炉に向けた情報を広く提供する施設になっています。
 いったい何年かかるか見当もつかない廃炉への道を、東電がどう考えて計画しているのか、これは是非とも知っておきたいところです。

廃炉資料館。できたばかりなので、いろいろな視察が入っているようです。
廃炉資料館の玄関。ここから先は撮影禁止。

館内は写真撮影禁止なので、ここからは文章だけになります。

 入館するとすぐに受付があり、パンフレットとアンケート用紙(鉛筆付き)が配られます。受付には女性が2人、男性1人。他に、展示室内に3人の男性係員がいました。(これが実数かどうかは不明。)みなさん表情は硬いです。そして、とても丁寧です。

 順路に従って2階に上がると、大型スクリーンのあるシアタールームがあります。係りのおじさんがとても丁寧に「こちらが最初の展示ですが、今、前の方が見ていますので、少しお待ちいただけますか。」と話しかけてきます。
 別の展示を見ながら待っていると、再び声をかけられシアターに入場。観客は私ひとりで、ちょっと申し訳ない気持ちにもなりますが、担当のおじさんがも「申し訳ないオーラ」を出しています。たまたまここの配属になったために矢面に立たされて、気の毒です。

 シアターは、震災からメルトダウンに至った経緯を、当時の映像と再現フィルムを織り交ぜながら克明に説明してくれます。
 「わたしたちには、おごりと過信がありました。」という意味の言葉が繰り返し語られ、東電が反省している様子が伺えます。もちろん反省していれば済む問題ではないし、最後には「信頼される原子力カンパニーとして邁進する。」という意味の言葉があり、「おいおい、まだ原発続けるのかよ!」と毒づきたくもなりました。

 シアターの映像が終わると、第一原発のジオラマや、4つの原子炉がそれぞれどのようにメルトダウンに至ったかという説明、廃炉の進捗状況など、さまざまなコーナーがあり、これはこれで勉強になりました。

 係の一人に「現在までの状況はわかったけど、今後の見通しのタイムテーブルはないのですか?」と聞いてみました。
 この質問は東電にとって苦しいところらしく、いろいろな資料を持ってきてくれて頑張って説明して下さいましたが、結局のところ「具体的な年次計画は、なかなか設定できない。」という回答です。
 そりゃそうです。だって、どんどん溜まっていく汚染水の保管場所にすら苦労している現状、根本的な廃炉の技術が現時点ではないという現状、8年も経ってようやく「デブリがつかめた!」程度の現状ですから、○○年にはここまで来て、○○年には廃炉完了!」などと、誰も言えませんよ。
 もちろん、「デブリが見えた。一部つかめた!」という一見簡単そうに見える成果を得るのに、東電や下請け企業のみなさんがどれだけ苦労したかは理解しているつもりですが。

 およそ1時間の見学を終えて、アンケートを出して資料館を後にしました。

アンケートには、次のように書いてきました。
○焦らず、作業員の安全を優先してほしい。
○大変でしょうが、廃炉に向けた取り組みは応援していきます。
○でも、こんな大きな事故を起こして、まだ原発を続けようとする気持ちが理解できない。しっかり廃炉したらそれでおしまいにしてほしい。

資料館となりでは、内部被曝検査をやっています。やってみようかとも思いましたが、興味本位で受けるのもどうかと思って止めました。
線路の東側は、除染した土の山。この処分はいつまでかかるのだろうか。
こんな風に積み上げられてます。

富岡駅に戻って。すこし遅い昼食。
カツ丼と蕎麦のセットをいただきました。

見た目普通。味も普通にうまかった。間違いのない美味しさと言えましょう。
小さなお店も併設。支援のため、ラーメンと「チーズの味噌漬け」なるものを購入。

あとは家に帰るだけ・・・。
実はここからが、少々大変でした。
強風のため列車が大幅に遅れ、いわきに着いた時には郡山行きの接続が悪く、郡山でも新幹線に乗るまで1時間あり、結局山形に着いたのは夜の10時近く。
 まあ、そんなこともありますよ。

 最後に、廃炉資料館のHPをリンクしておきます。
廃炉資料館

 廃炉資料館の展示内容が妥当かどうか。本当に責任を痛感して廃炉に向けた取り組みをしているのか。単なるPRの場なのか。「おごりと過信」をお経のように唱えながらも、どこか不可抗力として受け止めていないか。廃炉のその先をどう考えているのか。
 などなど、いろいろと課題や疑問が残るのも事実です。

 それを踏まえながらも、一度は見てきて「東電のスタンス」を確認するのは大切なことです。自分は原発そのものを止める意見に賛成しますが、東電の言い分も聞かなくちゃね。

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